柏自主夜間中学訪問 ~学びの原点が見える場所

TERAKOYA NIPPON PROJECT 共同代表
行政書士 藤岡 みち子

6月25日,27日の両日,柏駅近くで開かれている柏自主夜間中学の授業を見学させていただきました。

もともとは,私がサポートしているベトナム人エンジニアの青年2名に,もっと日本語力を付けさせてあげたいという気持ちで,主宰者の方にご相談したものです。ですが本人たちはもちろん,私がすっかり夢中になりました。
木曜日には,プロの日本語の先生こそいませんが,二人の「新入生」の緊張を解きほぐすように,皆さんがそれは暖かく,笑顔と拍手と日本語のおしゃべりで迎えてくださいました。

この1回ですっかりヤル気になった二人は,土曜日,約束の時間に,ノートや筆記具,しっかり読み込まれた「みんなの日本語」を携えて,待ち合わせ場所に現れました。

そして臨んだ土曜日クラス。

数名の生徒さんと数名の先生方。木曜夜のクラスには若い生徒さんも多かったですが,土曜クラスは比較的高齢の女性の生徒さんと,同じくベトナム出身のエンジニアの青年が1名,そして私の友人たち,私。
テーブルを4つの島にわけて,各グループそれぞれの「学び」が始まりました。

私たちのテーブルでは,ふたりが何のための日本語を身に付けるべきか,そのためにはどんなことをすべきか,先生が考えて,進め方を編み出してくださいます。土曜日は,ご自身がいらっしゃるから,これをやろう。次の木曜日までに,これができるようになってください。木曜日担当の先生は,2時間をこうやって使ってください・・・等々。
会話の中で,二人が苦手な発音,苦手な文字などを察知しては,ひとつずつ丁寧につぶしていく授業。それも,微妙に能力に差のある二人にうまく合わせながら。
そして,それを周りで暖かく見守り,時ににぎやかに口出しする他の先生方。

その間にも,他のテーブルでは全く別の「学び」が進行しています。すでに立派な日本語を話す都内在住のエンジニアの青年は,元地理教師でいらした男性の先生と,かなり難しいトピックの会話をしている。

「学び」に対する熱い思いが飛び交います。

思えば,「学校」という場所で,全員が一人の教師の方を向き,同じことを詰め込まれるようになったのはいつからなのでしょう。

江戸時代,寺子屋や手習いでは,バラバラの時期に入塾してきた年齢も性別も出自もバラバラの子どもたちが,ときには年かさの子どもが手伝ってあげながら,進度にあわせて各自バラバラの教材を学んでいました。
その自由な学びで身についた,生きるために自らに最低限必要な「知」の力を携え,私は,江戸時代の町人,農民は,決して「おかみ」に搾取されるだけの存在ではなかったと考えています。

先日本稿で谷口弁護士も述べていますが,明治政府の都合で導入された画一的な教育制度こそが,自由な学びの芽を摘み侵略戦争へと時代を誘導するのと同時に,「自分でモノを考えない」現代人を作り上げたと,私も考えます。
結果生まれたのは,良いことも,悪いことも,「おかみ」が決め,「おかみ」から降りてくる,そう刷り込まれた日本人ではないでしょうか。

そんな中,柏自主夜間中学には,時代がどこかに置き忘れてきてしまった,寺子屋のような時間が流れています。

制度化・公立化されていなくても,学びたいものを抱えた人を,誰一人置いては行かず,来る人を拒まず,生徒さんはここで仲間を見つけ,力をつけ,自信をつけて,高齢の方も若い方も,力強く社会を生きてゆきます。

「二人は柏の自主夜間中学に行ってみたらどうだろうか?」と提案してくれたのは,やはりベトナム国籍で,稲毛の自主夜間中学で日本語を学ぶ別の友人でした。
海を渡ってやってきた3人のおかげで,日本人として大切にしたい場所を,私は見つけることができました。

私たちTERAKOYA NIPPON PROJECTは,これからも柏自主夜間中学の皆さんの活動を応援してまいります。

これからも,皆さんの活動を折に触れてご紹介してまいります。